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この日は、出崎の丸山の手前の草はらにイーゼルを立てた。左側の舗装されていない轍のある道を、画面に入れて描きたかったので、全てが中心を外れた、こんなアクロバチックな構図の絵になった。
人間はナチュラルには、対象を視角の中心に置く。そして、そこにピントを合わせる。その一連の行為を為すのは、自我である。だから、物と空間、中心と周辺を差別して見る。
一方、世界存在はオールオーバーである。世界はそうなっている。
そうなっているその世界を、正しく描写するには、自我意識を脱落(とつらく)し、眼を独立させなければならない。
要は、こういう場所を見つけるのも、イーゼルを立てるのも、こういう構図の絵を描くのも、一朝一夕には出来ない、意志の持続と修行がいるのですよ。
老いると、すぐに文章がお説教調になってしまうが、それが老画家の唯一の楽しみなのだから、許してネ。