画中日記(2019年)
『画中日記』2019.01.01【新年に】
新しい年を迎えた。パソコンに向かっているアトリエの窓から快晴の空の朝陽が目に飛び込んできている(時間は8時50分)。
今年の干支は亥で、私は今年の3月で73歳になる。ここ数年、世界は、構造的地殻変動が起こり、パラダイムシフトが起こっている。色んな事が、自分にも、自分の周りにも、国にも、世界にもこれまで起こっているが、絵を描くことだけでよくぞここまで生き続ける事が出来て、感慨深い。そして私が、この良き時代の変化を、目にし、生きられ、生きることを天に感謝します。
以下の文章は、去年の新年の画中日記の文章をペーストしたものですが、今年も同じ気持ちで過ごしたいと思います。
今日のこの時を迎えられるのは、実存の煩悩に振り廻され、迷い道に何度も入り込んでも、美への信仰心の強さとベクトル(進む方向)が正しかったという証拠だろう。
仏教用語に八正道という修行の実践の徳目がある。正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定(しょうじょう)の8つ、すべて正という字が頭に付いている。行き先も方向も決めないで、ブラブラ歩いても、せいぜい自分の身の周りをぐるぐる廻るだけでどこにも行き着けない。地図や海図と、磁石や羅針盤無しに、なんとかなるだろうとガムシャラに進んでも道に迷う。
世界は、「正」という文字を頭に付けると全ての物事がキッチリと見えてくる。それは、正しいのか間違っているのか、だ。行き先は正しいのか間違っているのか、持っている地図は正しいのか、持っていく物は正しいのか(余計な持ち物は反って邪魔になる)。
この先、日本はますます世界中から尊敬される国になるだろう。どうしてかというと、仏教的『全元論』の世界観を、仏教の伝来する以前から持ち続け、その世界観を国民一人一人が持ち、生きていて、間違いを国民全体で正して現成している、昔から現成していた、奇蹟のような国だから。日本人の世界観が、世界の存在の法(ダルマ)を、身の内に持って生きているから、つまり、地図と、磁石が正しいから。
新年から明るいね、今年も頑張るぞ。
『画中日記』2019.01.13【ひと区切り】
ここ数日、額作りで、絵筆を持てなかった。額も作り終わり、『イーゼル画会』展のDMの宛名書きも、新しく買ったパソコンで書き終えた。明日は、額装した2訪玉での作品を発送して、明後日は4度目の玉野の風景を描きに行く。
昨日は新幹線の切符の購入と、DMの別納で郵便局の本局(土曜日で、近くの郵便局が開いてない)のある柏に出かけた。
少し見ない間に、柏も随分と変わっている。本好きの私がよく行っていた新星堂書店は蔦屋に変わり、ずっと閉めていた銭湯の旭湯も取り壊して更地にしている。諸行無常だなぁ。
先年上梓した『全元論』のまえがきからの引用、
いくら、自分にとって価値ある物や人や事であっても、関係が切れれば、ゴミや、タダの人や、そんな事もあったなぁ、ということになってしまう。諸行無常、すべての物はゴミになる。関係が切れているのに、いつまでも過去の世界に執着していると、ノスタルジーの感傷に悩まされる。時間空間の、周りの世界が相転移したのならば、私も当然相転移しなければならない。相転移できなければ、私自身が世界のゴミになってしまうだろう。
今日はこれから荷造り、明日は集荷してもらって発送、明後日の始発のバスで玉野にお昼頃着き、いよいよ、絵を描くだけの三昧境の生活だ。ヨッシャ!ヨッシャ!
『画中日記』2019.02.01【今日帰柏】
今日の午後帰柏した。今回の玉野は、天候に恵まれて、休みなしに毎日外で絵を描いて過ごした。雨は昨日だけで、昨日は、荷物の発送や帰柏の準備で、どうせ絵は描けなかったので私の思い通りに時は過ぎていった。玉野の生活は、明日から『玉野だより』で写真と共にフェイスブックに投稿します。
4日は『イーゼル画会』展の搬入飾りつけ。5日から16日まで銀座藤屋画廊での同展の展示。3月の最終週は、急遽決まった藤屋画廊での「抽象印象主義」の個展と、私のなかの絵のみの生活で、時間は流れていく。画家として理想的な晩年だ。若い時に画家を志して生きてきて、こんな、晩年を迎えられるとは、本当に、爪の先ほども思わなかった。これも、イーゼル絵画と道元とお釈迦様に出会って、若い時からの実存主義から、全元論に世界観を組み換え直したおかげであろう。
『画中日記』2019.02.19【路上の死んだ雀】
『イーゼル画会』展が2月16日に終わり、毎日画廊に出かけて楽しかった。私は無趣味だが「趣味は個展」と豪語していた時期もある。
展覧会の最終日、純画廊の内藤さんに『全元論』の本を届け、藤屋画廊に行く途中で、道路の脇のゴミのようなものが目の端に引っ掛かった。何気なく目を止めて見るとそれは、死んだ雀だった。
まず、ランダムなドットのなかで、視界の端の小さな乱調に目を止める自分に満足し、加えて、若い時の実存主義から今の全元論に世界観のテンセグリティを組み替えられた幸せを、天に感謝する。
雀の死は無ではない。西洋の、神と人間の、2元論の関係の末流の実存主義では、神を否定すれば当然雀の死は無だが、全元論では、全関係にもう一度全関係する全体が世界なのだから、小さな雀の死も、無ではない。雀の生きていた時の因はいつまでも残るし、死んでも、今、私がこの文章を書いている。
『画中日記』2019.03.10【5度目の玉行】
明後日の12日に5度目の玉行だ。3訪目の作品を数点残して、ほぼ全点今日玉に発送する。4訪目の作品は全点、まだこちらでは手付かずだ。光陰は矢の如く過ぎていくが、画家は幸せだなぁ。世界の存在に、単独で向き合う「場と時間(イーゼル画)」を過ごし、そして、その証拠が作品としてこの世に現成するのだから。
せっかく、天から与えられて、この歳まで絵を描くだけで生きてこれて、なおかつ、60歳を過ぎてからイーゼル画と道元に出遇い、明後日から、玉野の風景の前にイーゼルを立てる。これで、画家が何を如何(どう)すべきか、考えたり悩んだり逡巡したりする余地は寸毫も無い。世界存在を、つまり眼前の光と空間を、キャンバス上に、〈美〉に向かって変換、統合、定着するのみである。
明後日から、帰柏(未定)までフェイスブックは休みます。
『画中日記』2019.04.02【今日帰柏】
今日の午後、玉から帰柏した。明日から柏でのルーティンが待っている。これはこれで楽しんでやっているので、なんの不満もないが、今回の玉での最後のイーゼル画を描いた後は、なんだか感傷的になってしまった。その気持ちはICレコーダーに録音したので、いつか文章化して、フェイスブックに発表しようとおもう。
『画中日記』2019.04.14【ブラックホールの画像】-1
先日、史上初のブラックホールの映像化に成功し、その画像が公開された。新聞もテレビももう何年も前から見ていないので、昨日、パソコンで検索して見た。
これは、驚くべき世界の大ニュースで、私にとっても、先日作った『全元論』の世界観の正しさを、証明する出来事だ。つまり、「世界は特異点を持たない」。そして、「総(すべ)ての存在が特異点である」ということだ。
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静で、お釈迦様も道元もこの世界存在のありようを知っていた。その存在のありようの法(ダルマ)を通貫している軌持(きじ、道、レール)が「真・善・美」なのだ。そして、画家は「美」という超越に向かって生きているのです。
『画中日記』2019.04.14【ブラックホールの画像】-2
私は、1994年頃から『抽象印象主義』を標榜して、現在もイーゼル画で具象とともに抽象画も制作している。2004年に作った、作品集に書いた文章の中に「光と空間の在りようを通して、世界を描出しようとする思いを持って日々制作している(私の抽象印象主義とは何か−制作意図について、より)」と書いた。
その頃の作品から、ブラックホールの画像と似ているものを、過去のデータから、紹介しよう。「真」から目指し現成した映像がブラックホールの映像であり、「美」から目指した映像が私の作品の映像なのです。イーゼル画と同じく抽象印象主義の作品も描写絵画なのです。そして、微細な部分も広大な宇宙存在も、フラクタルで諸行無常、諸法無我、涅槃寂静なのです。
ああ、もう一冊、続『全元論』を書きたいなあ。
『画中日記』2019.04.18【時は過ぎ行く】
今日のフェイスブックにアップした【玉野だより】に、いい文章が書けたのでこちらにもコピペしておきます。
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今回の訪玉も、描けるのは今日と明日の二日で終わり。時は過ぎ行く。いや、自分から見れば時が過ぎてゆくのだが、世界から見れば自分が過ぎて行っているのだ。画家はいいなぁ、世界と過ぎ行く自分の現象の証拠を、絵に定着できるのだから。だからこそ、美しい作品を描いて世界に現成(げんじょう)させなければ。
この日は、丸山浜でイーゼルを立てた。浜辺の松を描くつもりだったが、浜ダイコンの白と薄紫の花が咲いている。今まで気付かなかったが、花が開けば美しく目に入ってくる。精一杯、存在を継なぐ虫を誘っているのだろう。その花が老画家の目に留まる、そしてこの絵を描いている。(「玉野だより」2019.03.30)
『画中日記』2019.04.20【玉野だより】
昨日で、3月に訪玉した時の『玉野だより』のフェイスブックへのアップが終わった。4月2日に帰柏してから、毎朝、パソコンに打ち込むことが日課だったので、今日から、その空いた時間のルーティンを変えようとおもう。
このところ中断していた、【読書ノート(2019年)】への抜き書きの打ち込みを再開しようと決めた。日々(にちにち)の行為をキッチリと組みあげなければ、何事も成し得ない。
自炊料理ができても、オーナーシェフにはなれない。スケートが好きで毎日リンクで滑っても、4回転半は飛べないし、また突然に4回転半は飛べない。1回転から順々に回数を増やすしか方法はない。修証一等、つまり悟りと修行は別ではないのだ。
「真・善・美・」の前には、自我の自由意志なんてものはない。
『画中日記』令和元年(2019)5月2日【令和元年】
昨日元号が令和に変わった。
日本人の神道、仏教の全元論的世界観は奇跡のように、二千数百年続き未来へバトンを継いでいる。世界中の他の国は、一元論的世界観なので、人も国も他者の一元論と相争う。国家も人も喧嘩腰で世の中を渡る。だから、グローバリズムとナショナリズム、唯物論(科学、経済)と唯心論(宗教、芸術)、身体と心、主観と客観、自分と他人、全て境界線を引いて分けてゲームをし、勝った負けたで世の中を過ごす。しかし、日本では矛盾も葛藤もなく、全てを受け入れ消化して他者に分け与える。全元論では、最初から自分と国家、自分と社会、自分と他者との境界のないインドラ網のような世界観なのだから世界観の根底が違う。
昨日でフェイスブックの「読書ノート」の抜き書きが終わり、今日からは、菅江真澄の抜き書きに移る。この本を手に入れ読んでいたのは2013~4年頃だから、この5年間で時代は激変した。これは、パソコンとネットのおかげで、菅江真澄は、名前は知ってはいたが、神保町の古本屋やブックオフの時代では実際に読むことはなかったろう。現に5年前でも、ネット情報は少なかった。
昨晩、「菅江真澄」でネット検索したところ、ここ数年で続々とネットに情報が上がっている。日本の存在が奇跡的なように、菅江真澄の為した行為も、為した書籍もデータも世界から消えさらず、ますますその存在が光り輝くことだろう。個人の情報がどんどんネットに上げられるようになると、オールドメディアから抜け落ち、あるいは、抜け落としたていた情報も個人が拾い上げ、それに出遇う人も増えるだろう。
現に私もフェイスブックに今日から抜き書きをアップしている。
『画中日記』令和元年(2019)5月4日【アダージェット】
この曲は、私にとって思い出深い曲で、振り返れば私の絵の上での、時々の分岐点の上に重なって聴こえ、また聴いてきた。もちろん、現在たどり着いた「全元論」の世界観ではきっちりと解釈できるけれども、その過程では、私のその時の世界観を超えた文学、音楽、映画との出遭いは、自分の行き先の地図作り及び羅針盤の一つであったなあ、と感慨する。
つまり「美」は超越かどうかの問題だね。かつて私は実存主義で生きていた。しかし、実存主義では、実存を超えた「真・善・美」の存在を説明できない。
『画中日記』令和元年(2019)5月21日【玉野の作品を描き終える】
今日、昨年の6月から1年間かかりきりだった、玉野での作品を全て描き終えた。トータルで88点、6月の玉での個展会期中も、午前中は描きに出かけるので、100点はすぐに越えるだろう。玉での展覧会に合わせて開いたサイトの、『ギャラリー仁家』でまとめて見てみると、サイトとその作品群共々達成感がある。
紙一枚一枚は薄くても、重ねれば分厚くなるように、毎日の描画が、まとまればこれだけの存在に現成するのだ。そして、絵描きを志し、歩んできたこれまでの日々の微々たる行程のつみ重ねが、先日上梓した『全元論』ー画家の畢竟地ーの地点にまで来ることが出来たのだ。
世界情勢はネットのおかげで、嘘やインチキや暴力や賄賂が通用しない時代に、大きく変わりつつある。「真・善・美」が世界存在の法(ダルマ)、軌持(きじ、レール)なのだから、真善美に反する行為、存在が力を失っていくのは当然だ。その流れは、個人だろうと、団体だろうと、国家だろうと、例外はない。
美を否定し、フェイクが大手を振って横行した悪夢のような平成の時代を、画壇のはぐれガラスとして通り抜けて、〔美〕という方向に向かって、絵を描くことだけで、半世紀以上歩んできた一歩一歩の距離が、今回の作品群に結実したのだ。そして、まだ、私は生きて描き続けられている。随分遠くまできたなぁ、そして、新しく望ましい時代の令和に間に合った。満足、満足…。
明日から額作り、それが終われば、抽象印象主義の作品にとりかかります。